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共感したり発見したり、そこに楽しみを見出していくわけですが。

一番最初は「先鋒」でないかい?
と中学生が言っていましたw

019 豊臣秀頼 【とよとみひでより】 1593-1615

関ヶ原の戦いから書いていこう。
この戦いでは東西両軍とも「豊臣軍」としてお互いの打倒を目指して戦った。
東軍は上杉征伐に際して豊臣家より資金や食糧を与えられており、
けっして家康の個人的な軍隊ではない。
西軍・豊臣軍と東軍・徳川軍の戦いではないのである。

しかし戦後処理に当たっては家康が中心となり、大名の加増や除封は
家康の意に沿って行われた。家康が天下の実権を握ったのである。
とはいえ、この時点では家康も主君である豊臣家を討つわけにはいかない。
大義名分がないまま簒奪をしても他の大名たちの支持は得られないのである。

そこで家康は巧妙に朝廷工作を進める。
豊臣政権の枠を外れて、新たに幕府という権力機構を作ってしまうのである。
こうすれば幕府の名のもとに全国支配を進めることができる。
豊臣家に対する配慮も抜かりない。将軍就任後、孫である千姫を秀頼に嫁がせた。
これは秀吉が生きているときの約束だったが、
履行することで、豊臣方の家康に対する敵愾心をそらせようとの考えである。

二年後の1605年、家康と秀忠は大軍を率いて上洛。
家康は秀忠に将軍位を譲る。これからは徳川の幕府が続くという意思表示である。
一方、豊臣方も朝廷に奏請して、秀頼の官位を内大臣から右大臣に進めている。

その後、高台院(秀吉の正室)を通じて、秀頼の上京を促すが、豊臣方はこれを拒否。
家康もこの時点での敵対は避けたかったのか、松平忠輝(家康の六男、秀忠の弟)を
将軍名代として大坂に派遣している。

それからの家康は朝廷との関係や国外との関係でも実権者として振舞い始めており、
名実ともに天下人としての体裁を整えていった。家康は辛抱強く待った。

1611年にようやく二条城で家康と秀頼の会見が実現する。
七十歳の家康が若い秀頼を見て開戦を決意したというがどうか。
家康としては戦わずして豊臣家が降伏すれば最善と思っていたはずである。

前田利家の妻まつのように、淀殿が人質として江戸に赴き、
秀頼も江戸へ参勤し、大坂からの国替えも拒まなければ、
秀頼の妻千姫は将軍秀忠の娘である。
幕府下の一大名として生き残ったはずである。

しかし、一般には淀殿が強硬に反対したと言われているが、
豊臣方は幕府側の提案を受け入れることはなく、
些細な口実から開戦へと向かうことになる。


次回はしばし考え中です。
豊臣家臣をいくつか書いたのでそこに行くかもしれません。

 
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研究職やサービス業もいいんですけど、

ものを作る仕事っていいですね。あこがれます。


朝、目が覚めると部屋の温度は0度。布団から出られませんw

タイマー付きのストーブが欲しい…。




2年半以上の君主生活で初!(見つけたのが)

BADマークがいつの間にか消えていたせいかなw

メンテじゃないけどメンテされたってことか(ありがと~^^)


ようやく本格的に巣窟デビューしました。

君主Wikiの巣窟部分がなかったので、やっていなかったのですが、

できたと思ったら、テキストもすべて更新されていましたw

更新した方おつかれさまでした~^^


ひっそり隠居ってのもさびしいかな。

総括というと大仰ですが、最後に何を考えたかは聞きたかったですね。

勝手な期待ですが、それだけ楽しませてもらいましたので。
昨日の新Aリーグで主審を務めさせていただきました。

2試合同時進行だったので、同期を取るのがたいへんでした。

攻撃役や観戦をしているので、大将を追っかけするのは慣れていましたが、

相手国に見えないようにしながら(主審の位置で大将の位置が判明するのは

好ましくない)、動く大将を追いかけるのは難しかったです。


冥土と天土に分かれて3戦するといっても、

20~30分もすると終わってしまいます。

そのあと未開国に誘導して遊ばせる(失礼)というのは初めてだったので、

時間の割り振りなど、勉強になりました。

戦力差があると、一方的になりがちなのですが、

そのへんは調整をして、戦争を楽しめる人が一人でも増えるといいなと思います。

フォーチュンクッキーでついたBADマークがまだ消えないんですけど…。
20日(水)のメンテで消すはずだったんじゃ…。

今週は宇喜多秀家でしたね。
豪姫(前田利家の四女、秀吉の養女)の旦那様、
というところから入った人も多いかもしれません。

なかなか興味深い人物です。
お父さんは戦国の梟雄・宇喜多直家(暗殺やら何やらで敵将を討ちまくった人)ですが、
秀家自身はさわやかな青年武将に育ちました。

なんだけど、この人、家臣の統率力がなかったのよね。
キリシタン問題で家中に対立が生じると収拾できず、
多くの家臣が宇喜多家を出て行ってしまいます。
あろうことか、これらの家臣は関ヶ原の戦いでは東軍に身を投じます。

関ヶ原の本戦では実質的な主将として奮戦しますが、
戦力低下の影響もあったのでしょう、敗退して戦場を離脱し、
薩摩の島津氏のもとまで逃れます。
三年後、島津氏・前田氏の懇願もあり死罪は免れ駿河に幽閉されます。
のち、息子らとともに八丈島に流罪となり、約五十年近くを島で過ごします。

1655年、徳川四代将軍家綱の代に八丈島で死去。
子孫は明治まで八丈島で暮らします。

行動に示唆を与えてくれる人って大事ですよね。


まあ、そういうのではなくても、

どうしようかもやもやと考えていたり、

考えていても実行に移せなかったり、

やっぱりもやもやしているときに、

まとまらないままにとりとめもなく話しながら、

だんだんとまとまる方向になることもあるのですが、

そういうときに肯定的に聞いてくれる人と言うのはとても貴重です。

(もしかしたら肯定すらしていないかもしれない…要するに否定的でない)


恋人だったり、友だちだったり、

上司だったり、先輩だったり、

そういうような特別の関係にある人でなくてもいいんですよ。


相談というと、聞く方も構えてしまうのですが、そんなんでなくてね。

一人でぼそぼそ言っているのを、テケトーにうなずきながら聞いてもらうだけでいいんですよ。


飲み屋のカウンターで隣の席のおっさんに語るわけにもいかないので、

ある程度、交友関係というか人間関係を作っておく必要はあるよね。


一人では生きていけないので、最低限のコミュニケーション能力ってのは求められます。

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