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昨日から立候補者の受付が始まり、君主選挙がスタートしました。
今期はフェルバーグにも抜かれている状況ですから、
次はアルディアサーバーを活気づけてくれる君主が選ばれるといいですね。

君主選挙となると、いつにもまして匿名の悪意が飛び交うときですがw
政権メンバーとなるなら、それに耐えられないと勤まりません。
批判を恐れて何もしないのでは、どこかの政権と同じになるかもしれません。
公約をよく見て投票しましょう(投票は25日16時から)

来週のメンテでノリコのドロップが変更になるので、一連の騒動も終息でしょうか。
この間、今期政権では(二期前の政権同様)麒麟官他の努力でテロが鎮静化していますが、
こういうことは新聞記者は書かないようです。
騒動が起こったあとでおもしろおかしく書いて、あおるだけなのでしょう。
矢筒を買ってぽこぽこ叩いている人には何ら益するところがありません。

戦国人物紹介

いままで取り上げた中では一番マイナーかも?w

017 豊臣秀保 【とよとみひでやす】 1579-1595?

三好吉房(三位法印一路)の三男。母は秀吉の姉・瑞竜院日秀。
兄に秀次、秀勝(小吉。信長の子で秀吉の養子となったお次秀勝とは別人)がいる。
実名を秀俊とするのは、丹波中納言秀俊(のちの小早川秀秋)との混同であり誤伝。

叔父・秀長の病が重くなると、秀長の娘をめとり養子となる。
1591年、秀長の死後、秀吉の命で跡を継ぎ、藤堂高虎や桑山重晴、横浜一庵らの
補佐を受けて大和、紀伊の両国を治め、従四位参議に任ぜられる。
翌年、従三位中納言となり、大和中納言と呼ばれるようになる。

同年の文禄の役では肥前名護屋まで出陣するが、みずからは渡海せず。
家臣の藤堂高虎らが渡海して戦った。

のち疱瘡(天然痘)が重くなり病死すると言うが、没年には諸説あり、
その死についても異説がある。大和十津川の温泉に療養に赴いたが、
小姓が秀保に抱きつき、いっしょに高所から飛び降りて転落死したともいう。
暴虐だったという説もあるが、はっきりしない。

子はなく、養子とするようなしかるべき人物もいなかったのか、
大和豊臣家は断絶する。秀次が粛清されるのもこのころであるが、
すでに秀頼がおり、秀吉が直系以外の豊臣家は不要と思ったのかもしれない。
しかしこれらのことが一族としての豊臣家の力を削ぐことになる。

三国志、魏の曹操は曹氏、父の実家夏侯氏の力を中心に勢力を伸ばしたが、
次の曹丕が弟の曹植と後継を争ったためか、次第に一族は権力の中枢から
外されていく。一方で、魏の後の晋は地方に配した一族が力を持ちすぎ、
八王の乱という一族の反乱が起こると、混乱の中で異民族が侵入し滅ぶことになる。
 
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ヤギが出るのもあと一週間。
赤犬がない人は押さえておきたいところです。
課金せずにFPで九尾というのはきつい…。
あ、くれる人がいる?
それはよかったですねw


■歴史コラム■ 兄弟の天下取り

裏切り、寝返り、御家騒動に下剋上、といろいろあった戦国時代ですが、
そうは言っても、親子や兄弟が一番信用できる間柄だったのでしょう。

兄弟での天下取りというと、足利尊氏・直義(ただよし)兄弟を思い浮かべます。
都落ちした足利軍は光明天皇(北朝)を立てて九州から上洛しますが、
このときに尊氏が海路、直義が陸路と分かれて東へと進んでいきます。
秀吉・秀長の九州攻めのようです。
このあと、湊川の戦いで楠木正成を敗死させ、再上洛を果たします。
尊氏の政権ができると直義は政務を担当し、軍事を握る尊氏との二頭政治となりますが、
最後は観応の擾乱(じょうらん)と呼ばれる両派の対立が起こり、兄に毒殺されたといいます。

秀長の評価で、存命であれば秀頼を補佐して豊臣の家名を保ったであろう、
というのも、秀吉が先に死んでいればの話で、秀吉も秀長もともに生きていれば、
近江派と尾張派、あるいは武将派と文吏派など、何らかの派閥に分かれて
争った可能性も否定できません。そうなる前に死んだことは、ある意味、
秀長の名を高めたのかもしれません。

そういえば、NHK大河ドラマ「太平記」の足利直義役も高嶋政伸でしたっけ。
 
 
先週は黒イベをぶつけてきたり、今週は四つ葉配布をぶつけてきたり…。

これに限ったことではありませんが、今回の政権はKYなのかしらね…。


黒べぇグランプリ、11月シーズンの第2戦目。

序盤はタラントさんと200P差で2位を追走。なかなか追いつけません。

2位死守方針で行こうかとも思いましたが、ここはじっと我慢…。

中盤くらいでようやく追い付きましたが、引き離すまでには至りません。

最後は300P差くらいでなんとか逃げ切りました。


第1戦、第2戦と1位だったので、シーズン後半は戦争メインでいけるかとw

第3戦はブカンさんなので楽しめそうです^^
お買い上げありがとうございます^^





龍尾刀良品が売れましたが、マケ水準が350万Qでしたから、
約50倍といったところでしょうか。


君主DAYの最後の3時間、フルドーピングで狩り続け、
今日も狩り続けて、ようやく剣術が99に。
エンブレムまであと1つ^^;

戦国人物紹介

武田典厩信繁(信玄の弟)にあやかって信繁とつけた例(真田幸村)があったね。

016
 豊臣秀長 【とよとみひでなが】 1540-1591

(おまけ)秀吉の有能な弟として天下統一に貢献したのは間違いない。
大友宗麟に言ったという、「内々のことは千利休に、公儀のことは秀長に相談せよ」
との言葉に秀長に対する信頼のほどがうかがわれる。

しかし、陰での活躍に徹したのか、これといった逸話がないのも事実である。
秀長自身は敗者ではないが、彼の大和豊臣家は次の代で無嗣絶家となり、
豊臣本家も大坂の陣で滅んだため、後世に「自家の歴史として」豊臣家の事績を
語る子孫がいなくなってしまったことが大きい。

1585年の四国攻めでは総大将となるが、長宗我部氏の重臣、谷忠兵衛忠澄が
こもる阿波一宮城を攻めあぐねる。このころの秀吉は体調が思わしくなかったが、
弟の苦戦を聞いて自ら出馬することを考える。
それを知った秀長は兄に「自分に任せてほしい」との書面を送る。
初めて総大将となった秀長の意地、気負いを感じる話である。

島津側の資料に、秀長が九州攻めの際に降伏してきた島津家久(義久、義弘の弟)を
暗殺したとの記録があるが、最近は否定する意見が多い。これも秀長の人柄か。
家久はもともと病にかかっており、病死したというのが正しいようである。

 
「君主onlineのGMブログ」

http://blog.livedoor.jp/nde_kunshu/


昨日6日からスタートのようです。

長い目で見守りますよ、長い目でw

複数で書くならある程度の更新頻度は保ってほしいですけどね。


不具合報告はサポートに連絡するとして、

「みんなの相談」を受け付けるとか、

君主(職)が動かないからゲームマスターが出てきたのかしら…

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