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「信長の野望」では古くから登場しているが、
当初の顔グラフィックはそれほど美系ではなかった。
しかし、シリーズを重ねるごとにパワーアップ。
最新作ではきっと妻夫木クンのファンでも満足できる顔になっているはずだw

010
 直江兼続 【なおえかねつぐ】 1560-1619

(後編)

戦争も外交も二流以下だったが、それ以上に問題だったのは後継者についてである。

この時代、家臣を持つ者の最大の務めは家名を残すこと、
ようは子供を残すことである。御家が潰れれば、家臣は路頭に迷うしかない。
子は授かりものとはいえ、養子を取ることも可能であったのであり、
主従とも後継者を残す意識が希薄だったとしか思えない。

兼続は正室お船の方との夫婦愛でも知られるが、側室を持たず、
実子の景明は生来病弱で父に先立って病死。
養子に迎えた本多政重(家康の謀臣本多正信の子。正純の弟)とは
のちに縁組を解消し、最終的に直江家は断絶している。

主君の景勝も同じである。
正室菊姫は武田信玄の娘だが、菊姫との間に子はなく、
長男にして唯一の実子定勝が生まれたのが1604年、景勝四十九歳のときである。
男色説、正室との不仲説などいろいろあるが、根拠には乏しい。
ともかく、子供がいなければ即断絶の可能性もある中で実子が男子一人だった、
という一門の脆弱さは、三代綱勝が子のないまま死去したことで上杉家を危機に直面させる。
通常であれば無嗣断絶となって当然であったが、
最終的には甥に当たる綱憲が末期養子となって上杉家を継ぐことを許された。
ちなみに、綱憲の父は「忠臣蔵」で有名な吉良上野介義央(よしなか)である。
「忠臣蔵」では、赤穂浪士の討ち入りを知った綱憲が「父を助けねば」と
兵を出そうとして家老たちに止められたというシーンが登場する(これは後世の創作)

この結果、上杉家の領地はさらに半分の十五万石に減らされ、
財政はさらに悪化することになる。
財政再建は鷹山(ようざん)の号で知られる九代上杉治憲の登場を待たねばならない。
(この人も九州秋月家からの養子)

 
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無題
色々あって絶望かねつぐ&かげかつ状態だったのかも。言い訳にもなりませんねえw
amasiz 2009/09/05(Sat)00:44:12 編集
無題
となると、やっぱり隣の伊達&片倉家と比べちゃうんだよねえ。
伊達家は仙台藩のほかに伊予宇和島にも領地がありましたし…当主の能力なのか補佐役の能力なのか…。
Rakuna 2009/09/06(Sun)12:03:13 編集
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