忍者ブログ
君主onlineブログ+
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

amasiz氏をけしかけておいて、自分で何もしないのも何なので、
日本の戦国時代の武将解説でもしようかなと考えております。

関ヶ原の戦いのときの全国の武将配置・解説については、
すでに公開しておりますので、探していただければ
それらしきものが見つかるかと思います。

その前後に書き溜めていたものがあるので、
PC上を探してみましたが、古いのはすでに10年近く前のファイル…。
これは相当頑張って手を加えないといけないようです。

歴史に興味を持つきっかけくらいになればいいなと思っていますが、
何人続けられるでしょうか…。
君主と関係ないよね、って突っ込みはなしの方向でw


ちと、長さの調整も兼ねて試し書きしてみようw

戦国人物紹介

001 本多忠勝 【ほんだただかつ】 1548-1610

平八郎、従五位下、中務大輔。徳川四天王の一人。

最近のゲームでは強さのあまりロボットになってしまったようですが…。

穂先に止まったトンボが真っ二つになったという名槍「蜻蛉切」を手に
生涯大小五十余度の合戦に臨み、一つの傷も負わなかったという勇将。
体中傷だらけだったという井伊直政とは対照的ですが、これは譜代(本多家)と
外様(井伊家はもと今川家の家臣)という立場の違いもあるでしょう。

信長からは「花も実もある勇士」、武田家からは「家康に過ぎたるもの」、
主君家康からも「誠に我家の良将」と絶賛されます。

小牧長久手の戦いでは数百の軍勢で数万の秀吉勢の前に立ちはだかります。
秀吉はらはらと涙を流して「鉄砲玉で殺すには惜しい名将だ」と鉄砲を
撃ちかけるのをやめさせたほどです。
このへんのイメージは爽やかさと相まって、三国志だと超雲を連想させます。

秀吉からは官位や佐藤忠信(源義経の忠臣)の兜など、贈り物攻勢を受けますが、
家康への忠誠心は少しも揺らぐことなく、かえって秀吉を羨ましがらせます。
徳川家の関東入国後は上総大多喜を与えられ、関ヶ原の戦い後は伊勢桑名に
転じますが、領国経営にもすぐれた手腕を発揮しています。 

関ヶ原の戦いでも、本戦に至るまでは軍監として東軍諸将ににらみをきかし、
本戦においても、戦場後方の毛利軍を見て、「合戦が近いのに山に登るのは
戦意がないからだ」とその意図を言い当て、諸将を感心させます。
単に兵卒としての能力だけでなく、軍政、戦術にも秀でていたことをうかがわせます。
 
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
[253]  [252]  [251]  [250]  [249]  [248]  [247]  [246]  [245]  [244]  [243
ブログ内検索
プロフィール
HN:
Rakuna
性別:
非公開
自己紹介:
君主online、元朱雀官(二期)
このゲームが終焉を迎えるときまで冬眠しています。
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
リンク
 
 
 
777
 
 
最新のコメント
[11/20 Rakuna]
[11/19 DEBBY]
[11/12 Rakuna]
[11/05 DEBBY]
[08/14 debby]
[05/03 amasiz]
最新TB
バーコード
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]