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ジャイアンツにいたらスタメンは厳しいかもしれないが、
他のチームに行ったら三番は打てるくらいのイメージか。
005 真田信之 【さなだのぶゆき】 1566-1658
伊豆守。父と兄の陰に隠れがちだが、徳川家、しかも秀忠に相当恨まれていながら、
真田家を保った能力は評価していい。
自身、九十過ぎまで長命を保ったことも一因であろう。
関ヶ原の戦い後は自身の軍功と引き換えに父弟の助命を嘆願。
岳父(妻の父)本多忠勝も、家康に対し、助命が受け入れられないなら
「殿と一戦つかまつる」とまで言ったという。婿のことを評価していた証拠である。
長男信吉の系統は上野沼田を継いだが、のちに勤務不良により所領を没収されている。
1681年のことである。徳川家は第一次上田攻めで敗れて約百年後に
ようやく沼田から真田家を除くことができたのである。
二男信政の系統が信濃松代で定着するが、のちに松平定信の二男(幸貫)を
養子に迎えており、ここで松代藩における真田の血は絶えている。
真田幸貫は老中となり(扱いとしては譜代大名)、藩政では佐久間象山を抜擢するなど
名君として知られている。
おまけ そのほかに押さえておきたい真田家の人物
・真田信綱 【さなだのぶつな】 1537-1575
幸隆の長男。昌幸の兄。父とともに武田二十四将に数えられる。
信州先方衆として上杉謙信に当たる。
幸隆の死後家督を継ぐが、翌年長篠の戦いで戦死。
・真田昌輝 【さなだまさてる】 1543-1575
幸隆の二男。北条氏との戦いでは北条氏照を破るなど軍功あり。
長篠の戦いで兄とともに戦死。
長篠の戦いで兄とともに戦死。
・真田大助 【さなだだいすけ】 1602-1615
名は幸昌など。真田幸村の長男。父が高野山麓の九度山幽閉中に誕生。
母は大谷吉継の娘。夏の陣では大坂城内に留められる。
落城の際には脱出を勧められるが拒絶、豊臣秀頼らとともに自刃。
歴史小説は読まなくなりましたが、興味のある方は池波正太郎の『真田太平記』をどうぞ。
前述の通り、NHKでドラマ化されており、DVD版もあります。
学研の歴史群像シリーズでも大坂の陣や、真田幸村を扱ったものがあります。
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