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「3」で加藤清正に甲斐姫ね…。
日本が舞台だと登場武将に困ることはないね…時代までさかのぼれるみたいだしw
黒田官兵衛が悪役っぽいのが気に入らないですがw
この人が関ヶ原の戦いにおいて九州で示した動きは戦術家、戦略家として超一流。
いずれやります。

さて、今回は上杉謙信の後編。
聖将、義将などと言われ、敵だった武田信玄も、北条氏康も自分の死後は謙信を頼れ、
と言っていますから、周りからの評価が彼の本質を表しているのでしょう。


Rq 002 上杉謙信 【うえすぎけんしん】 1530-1578

(後編)

彼の目指していたのは、関東における足利幕府体制の維持、
つまりは、関東管領として関東の治安を維持することで、
関東の大名を支配下に組み入れるという考えはなかったようです。
(そもそも越後国内すら治めきれていない)

しかし、すでに関東管領が補佐すべき鎌倉府、鎌倉公方はなく
(末裔の古河公方を擁立したことはあるが、実質的に機能はしていない)、
そもそもの室町幕府でさえ、1573年、信長によって滅ぼされています。
手取川夜戦で柴田勝家率いる織田軍を一蹴したこともあるのでしょうが、
中央の織田軍は後回しで、関東を重視したというのは、
時代認識の旧さを示しているのかもしれません(現実路線という言い方はできる)

父為景は六十歳半ばまで現役で戦っていましたから、
謙信本人もあと十年余は戦えると思っていたのでしょう。
後継者とされる養子二人については、いまも様々な説があり地位が確定していません。
 
養子の一人上杉景虎(養父と同じ名前)は北条氏康の七男、北条三郎氏秀と
言われていますが、最近は北条氏秀と名乗った点は否定されつつあります(別人という)

景虎に関東管領職、山内上杉家を継がせ、景勝に長尾家総帥、越後国守を
継がせるつもりだったなどとする分家説(諸説ある)は以前からありますが、
謙信が後継者と目していなかったと思われる景勝が勝利したために、
このへんを明らかにするのは難しいでしょう。
当の謙信が一切言葉を発せないまま死にましたし、
勝利者によって真の歴史は隠されてしまったと思われるからです。
 
いずれ上杉景勝・直江兼続の項であらためて触れることにします。
 
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パパは鬼将だったけどねw
堺屋だったかが越後では食料が取れないから、口減らしのために戦争に行ったというのは本当なんだろうかwww?
ともあれプロジェクトさえあれば、烏合の衆でもそれなりにまとまって、大戦力になり得るって―のは、どこかでは耳の痛い話なのかもねwww
ぼっこ 2009/08/10(Mon)22:11:29 編集
無題
父は越後統一のために六十過ぎまで戦い続け、百戦以上しまたからね。

このころの越後は米どころではなかったのは事実ですが、口減らしというよりは他に調達しに行ったのでは?
米の確保には直江兼続もあくどいことやってるしねw

身内をまとめるために外に敵を作って、というのは現代でもあそこに限らずある話w
Rakuna 2009/08/11(Tue)00:30:42 編集
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