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明文化されていなければ「慣例」は無視してもいいのでしょうか。
最高のカードを切ったつもりでも、中国にはすでに足元見られてるのにね。
前例扱いとせず、このまま沈静化していってほしいものです。
この件自体が政争の具となるのは好ましくありません。

黒べぇグランプリファイナル、第2節は見事にぶっちぎりの1位。
国民一人一人のポイント積み上げの結果です。
おつかれさまでした^^
来週もがんばろう!

■歴史コラム■ 豊臣政権のかたち

昨日の歴史の話をしよう!の続き。

関係者が生まれた順番に死んでいったとして、
豊臣政権にとってどういう体制がベストだったかを考えると、
まず秀吉は太閤(前関白)として、江戸幕府で言うところの大御所のような立場で後見。
というか、外征に専念しちゃうだろうね、この人。
秀頼はまだ幼いので、実質的な内政は養子の秀次が行う。で、秀長はその補佐。

さて、どうして(こんな理想的な)仮定の話をするのかというと、
この体制がどうして崩れたのか(崩したのか)、
秀吉の考えを探ってみたいからなんだよね。

秀長は秀吉よりも先に病死したからどうしようもないとして、
秀次一族の粛清はどうもすっきりしません。
秀頼の成人まで秀次がつなぐというのが望ましいのですが、
それをしなかったということは、秀次から秀頼に
政権が返ってこない可能性を考えたのでしょうか。
秀頼を唯一の後継者として早急に確立したかったのでしょう。
それなら秀次一人のみならず、子供らまで処刑した意味も理解できます。

ただ、その場合は、秀頼が幼くして死ぬと、
豊臣家の人間がいなくなるというリスクがあるんだよね。
そこをどう考えていたのか。
 

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自主性は尊重しつつ(でないと長続きしない)、
でも(寄ってたかって)あれもこれも教えたい、って感じなんでしょう。
消化不良にならない程度にねw
国内が活性化します。
もう鯖全体では起こらないのかも。


■歴史コラム■ 出生の話

あまりこういう話は好きではありませんが…。
考えていくと、どうにも解せないので。

ここで一つ疑問がある。
鶴松と同様に、秀頼も幼くして死ぬかもしれないという可能性を
秀吉は考えなかったのかということである。
ここに豊臣一族としての秀次の存在価値があるのだが、
秀吉は切り捨ててしまうのである。

秀頼も幼くして死ぬ可能性がないとは言えないのだが、
鶴松とは違って、秀頼に幼くして死ぬ可能性が低いことを秀吉が確信して
秀次一族(秀次のみならずその子らまで)を粛清したとすれば、
ある種の想像も成り立つのだが。

丈夫な子供、あるいは丈夫な子供を産む母親は探せばいるだろう。
秀吉の後継者は、誰もが「秀吉の子」と認める人物であればよく、
それは秀吉の血を引いていることと必ずしもイコールではない。

三国志の魏の二代皇帝曹叡(明帝)にも三代曹芳(斉王)にも
出生の不透明さがつきまとっているが、こういう話はどの国のどの時代にもある。

※曹叡の母甄氏は曹丕に嫁ぐ前は袁煕(袁紹の二男)の妻であったことから、
 曹叡の実父を袁煕とする説がある(年代的に合わないが)
 曹芳は『三国志』(正史)には父母の名が記されておらず、
 曹叡に子がなかったため、曹氏の血を引くものを帝位につけたという。
 
ファイナルファンタジー(FF)の「エリクサー」って微炭酸なんだなあ…。
ローヤルゼリーエキスとカフェインで元気になるのかしら。
最近のおすすめは「ウイダーinゼリーのローヤルゼリーイン」です。
前作(12)で寄り道をしすぎた挙句、本編のストーリーがわからなくなって挫折したままです。
来週発売のFFの新作(13)は買わないだろうなあ。PS3もありませんし。

ゲームに限らず、やりたいことがいくつかあっても、
時間的・経済的・体力的…な制約があって、全部やるというわけにはいきません。
いまはゲームは君主でおなかいっぱいってところかなあ。
(内容に満足しているかどうか、というのとは別の問題w)

微妙だったCD4枚は思い立って即ブックオフへ。
「きれいなCDをありがとうございます」って、1回しか聞いてないしw
9,000円ちょっとで買って4,000円弱で戻ってきたので、還元率40%超。悪くない。
忘れていたわけではありませんw


戦国人物紹介

018
 豊臣秀次 【とよとみひでつぐ】 1568-1595

(後編)

秀次が阿波の三好康長の養子となったことは、明智光秀が土佐の長宗我部氏と
深く結びついたこととともに、本能寺の変の伏線として重要な意味を持つのですが、
これについてはいずれ書くことにします。

豊臣家の人物に触れながら、豊臣家が生き残る可能性を考えています。
1592年の状況を見れば、秀吉に子はなく、秀次とその子孫が豊臣の家名を
伝えていった可能性もないではありませんが、秀吉の遺児、秀頼の存在は大きいので、
秀頼の成人までどのように豊臣の天下をつないでいくかを考えてみたいと思います。

転機の一つは秀長の死でしょうか。家康の二歳年長でしかない秀長が
天下統一後まもなく、1591年に五十二歳で死去したことは惜しまれます。
五年でも十年でも長生きしていれば、家臣団の対立を抑え、
家康ら有力大名の台頭にも一定の抑止が期待できたと思われます。

※ある程度規模の大きくなった勢力内において、戦争で功績をあげた武功派と、
 経済等の内政を司る官僚派が対立するというのは豊臣政権に限ったことではなく、
 徳川幕府などでも同様のことは起こっており、構造的な問題と言えます。

同じ年に鶴松が夭折していますが、この時点で秀吉は、秀次を後継とし、
さらに大和に秀保(秀長の養子、秀次の実弟)を置く体制を考えたのでしょう。
しかし、1593年に秀頼が誕生します。

秀次の娘と秀頼の縁組が試みられたこともありました。
秀頼が成人するまでは秀次が豊臣政権を受け継ぎ、
秀頼の成人後は秀次とその子孫が豊臣家の系統を補う形も考えられましたが、
結局、秀吉は性急に自身直系の政権の構築を図ります。
1595年に秀次とその一族、家臣団が粛清され、秀保も死去したことから、
豊臣家の系統は秀吉-秀頼ラインに一元化され、他の系統は消えてしまいます。

幼い秀頼を補佐すべく有力大名の連合体という形を取らざるを得なかった
豊臣政権ですが、豊臣家自体、他の大名に抜きんでた軍事力を持っていた
わけではなく、有力大名の一人であった家康の台頭を許すことになります。
(この時代に限らず、権力の源泉は軍事力である)

次回の豊臣秀頼に続きます。
 
26日(木)の記事で歴史についてちらっと書きました。
媒体によって何がどう書かれているか(描かれているか)
というのは頭に置いておかないといけないのですが、
それでも、三国志に興味があれば、『三国志演義』も読んでみてほしいんですね。
いきなり正史『三国志』は難しいw

マンガの横山光輝の『三国志』でもいいし、文庫の吉川英治の『三国志』でもいいし、
コーエーの『三國志』でも、『三國無双』でもなんでもいいんですよね。
歴史に興味を持ってもらうということも大事なので、
入口であまり難しいことを言っても始まりません。

で、まあ、NHKの大河ドラマ「天地人」は最後の方しか見ていなかったのですが、
最大の見せ場である関ヶ原の戦いが終わってしまうと、
あとは大坂の陣や家康の臨終にむりやり直江兼続をくっつけるしかないw
あれを見て、千姫は兼続と幸村のおかげで救出されたんだ、
と間違った歴史を覚えないようにしてくださいw

ということで、原作というか脚本でどうなるかというところはあるのですが、
29日(日)20時からの「坂の上の雲」は見てほしい…かもw

司馬遼太郎の原作は相当取材をして書かれていますが、
それでも現在の研究では、日本海海戦の状況に見直し(修正)が
指摘されていますし、全部がまったく正しいわけではありません。

それはそれとして、

かつての日本にこんな人たちがいたんだということを知ってほしいんですね。

明治維新から140年、日露戦争からは100年余りしかたっていません。
おじいちゃんやおばあちゃんが生まれたころ、となると近いような気がしますが、
第二次大戦と違って、リアルで語ってくれる人がいないとなると、遠い…のかな。

日本は敗戦のショックで戦争アレルギーになってしまいましたが、
それ以前は、維新前後から日本の独立を維持するために、
ご先祖様は努力をしてきたわけです。
(はっきり言うと、外国と戦争をしてきたわけだ)
こういう人たちのおかげでいまがある(…のかも)と考えるのは大事なことだと思います。
(その最後に敗戦があるので功罪相半ばしますが)

徳川家康は知っていても東郷平八郎や児玉源太郎を知らないのは…、
いや、知りませんよねw

…いいんですw

ドラマや小説を見て、秋山兄弟ってこんな(変な)人かあ、でもいいんです。
日露戦争の後はどうなったんだろう、そんな興味の持ち方でもいいんです。
様々な人が様々なその後を過ごします。
ネットで探したいなら、Wikipediaでもいいんです(批判しといてかよw)

興味を持って自分で調べてみる。最初はそこからです。
NHKのニュースでも取り上げられていましたが、
Wikipediaの記事をうのみにする人がいるなんて…。
○○ですか?w

歴史についての文章を書いているので、自分でも注意していますが、
資料の選択は慎重に行わなければなりません。
『三国志演義』は小説ですし、『三国志』は「正史」とはいえ、
書かれた背景を考えなければいけません。
晋の時代に書かれたため、晋の前王朝である魏を正統としており、
魏に不都合なことは書きづらいということがあります。

書物になっているものでも、書かれた背景などを考えれば、
取り上げるのには慎重にならなければいけません。
まして、インターネットの記事は書物をさらに引用した記事になることが多いので、
用いるには慎重に慎重を重ねなければいけません。
(私はWikipediaの記事は参考にしていない)

ではどうするの、と言うと、複数の記事を参考にするしかないんですね。
一つのところにしか出ていないことは「孤証」といって、
証拠にならないとまで言われています。

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