忍者ブログ
君主onlineブログ+
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

我らがドラゴンズはCSで敗退してしまったので、

今年の日本シリーズはどちらが勝っても興味がないのですが、
アンチ巨人ではないので、WBCを制した原監督には
日本一になって名将になってもらいたいなと。
選手としてはうーん、だったと思うので、
指揮官としては誰からも文句を言われないような成功を収めてほしいですね。
…来年、そういうところを叩く楽しみができるでしょw

黒べぇグランプリも4回目になりますが、
ヤンパは不朽の3連覇という記録を打ち立てたので、
そろそろ違う楽しみを見つけていこうかとも。
今回はそれを模索するシーズンになるかもしれませんね。

戦国人物紹介

小一郎さん。
1996年のNHK大河ドラマ「秀吉」では高嶋政伸が演じていましたが、
そんなイメージでしょうか(秀吉役は竹中直人)


016
 豊臣秀長 【とよとみひでなが】 1540-1591

(前編)小竹。木下小一郎。美濃守、大和大納言。

秀吉とは異父弟とされる。同父弟説もあるが、いずれにしろ、
秀吉のもっとも近い近親者として絶大な信頼を受けたことは間違いない。
温厚篤実な人柄は他家からも信望厚く、その死は非常に惜しまれた。
秀長が存命であれば、豊臣家があのように滅ぶこともなかっただろう、
と考える人は多い。

実名は初め長秀。武家の出ではなく、成り上がり者の秀吉に好意的に
接してくれた織田家臣は少なかったであろうが、その中の一人、
丹羽長秀の名から取ったという説があるが信じがたい。

一つには、丹羽長秀という武将は過大に評価されているからである。
信長家臣の最高位は北陸の柴田勝家、中国の羽柴秀吉など、
各方面の軍団長であるが、本能寺の変直前の丹羽長秀の立場は、
四国方面軍の軍団長となった織田信孝(信長の三男)の副将格にすぎない。
それまでも独自に軍を率いることはなく、遊撃隊の将といったところである。
所領も若狭小浜に留まっており、信長からは軍事的才能を評価されていない。

一方で、安土城の普請など地味ではあるが重要な仕事を任されている。
また、丹羽家からは長束正家、戸田勝成(重政)、上田重安(宗箇、茶人)ら
多数の人材を輩出しており、このあたりからも長秀の実直な人柄がうかがえよう。
丹羽長秀の話になったが、丹羽長秀が秀吉に好意的だったかどうかはともかく
(確かめようがない)、「信長の有力家臣である丹羽長秀から名前をもらった」
という見方は正しくない。

秀吉が羽柴と名乗った話も妙なのだが、これについてはまた別のところで述べる。

もう一つ、伊達政宗のときに書いたが、主従で一字を与える、もらうというのは
よくあることだが、同じ名前をつけるというのは一族の場合でも非常に珍しい。
まして、他家の人間と同じ名前をつけるという例はほとんどないのではないか。
(現代では例えば坂本龍馬にならった「龍馬」という名前はそれほど珍しくはない)

例外的に多いのは「長政」という名前で、浅井長政、浅野長政、黒田長政などがおり、
ほかに織田、榊原、池田などにも「長政」という名前の人物がいる。
また、伊予の河野氏には同名の者が多く、途中で改名した者も含めて、
「通宣」が二人、「通直」が四人いる。

名前の話はこれくらいにして、次回は秀長の活躍を見ていこう。

 
PR
昨日の続き。
紅白戦については前に仲間内でも話したことがあるのですが、
いろいろバリエーションはあると思うんですよね。

いまならアバター服で赤組、青組に分けて衣装を統一してもいいでしょうし、
武器は竹槍だけ、ってのもあるかもしれません。
(上級者と初心者の差が少なくなって長く楽しめるようになるのか、
逆に倒すまで時間がかかりすぎるようになるのか、
こういうのは実際にやってみないとわかりません)

一番楽なのは、GvGのように、紅白戦用の広めのフィールドがあって、
参加登録をすると適当に振り分けされて、あとは戦争するだけ、
ってな仕様ができることw

戦国人物紹介

015 大谷吉継 【おおたによしつぐ】 1559-1600

(後編)

秀吉の側近として奉行職を務め、戦陣にも加わるが、
三十代の働き盛りで病となり表舞台には立てなくなる。
秀吉が「百万の軍を指揮させてみたい」と言ったのも、
若くして隠居状態となった吉継の才能を惜しんでのものか。

そこから約十年、外から天下の動きを見続けたが、
秀吉が死に、天下の形勢が家康に傾くと、家康に味方しようとする。
この判断は妥当なものだろう。

三成の決意が固いことを知って、やむなく味方するが、
三成に対する評価も冷静であり、いったん味方すると決めたからには容赦がない。
「貴殿は人に対する言葉づかいや態度が横柄で、諸大名初め下々の者まで
いつも悪く言っている」
「武家においては第一に智勇が大事だが、貴殿は知慮才覚の点では、
比べる人がないほど優れている。しかし勇気の方は不足していると思われる」
三成も吉継の言葉は素直に聞き入れた。

いったん三成と別れると居城の越前敦賀に戻り、北陸方面の攻略を担当する。
この方面の大勢力と言えば加賀の前田利長(利家の子)だったが、
「西軍は海上から北陸を攻める」との一通の書面だけで前田軍を撤退させてしまう。
見事というしかない。

吉継自身は家康が次の天下人と思っていながらも三成に味方したが、
家臣もその吉継に従ったということは、武将としても信望があったためであろう。
関ヶ原本戦でも大谷義治(長男)、木下頼継(二男)のほか、
戸田重政(勝成)、平塚為広らの武将が吉継と行動を共にしており、
戦場を脱した義治以外はみな小早川秀秋と戦って戦死している。


次回からは豊臣家の人々シリーズとなります。
秀吉は除きます。099くらいでできればと考えています。
(最後は信長、秀吉、家康で締めたい、と)

予定しているのは、豊臣秀長、豊臣秀保、豊臣秀次、
羽柴秀勝(お次)、豊臣秀勝(小吉)、北政所、淀殿、天秀尼、
このくらいまではなんとかと思っています。
あとは宇喜多秀家、小早川秀秋あたりから西国の武将へ移っていこうかと。

 
いま要塞で一生懸命レベル上げをしているサブの製造職は、
普通の(白くない)虎に乗っているので、
ヤギ乗りかえもいいかもしれない…。

文春文庫から出た、宮城谷昌光の「三国志」3巻を読み終えて、
4巻に突入。董卓が暴れまわっております。
文庫版は5巻と6巻が2010年10月刊行予定で、
7巻以降は毎年1巻ずつ刊行予定だそうですが、そんなに待てませんw
「文藝春秋」で毎月連載中ですが、諸葛亮の北伐も半ばにさしかかってきました。
途中でハードカバーに切り替えて、最後は「文藝春秋」で読むかもw

書籍を本棚に並べておく趣味がないとは言えないのですが、
話を読み終えるのに、ハードカバーとか文庫とかそろっていないのは気にしないのです。
なにはともあれ、始めたら完結させることが重要です。

戦国人物紹介

収まりきらなかったので、初の三部構成w
まずは中編から。
ハンセン病についての詳細は他の書籍やウェブを参照されたい。

大坂で千人斬りの噂があり、大谷紀之介(吉継か)に嫌疑がかかった。
悪瘡を気にして、千人を殺してその血を用いて平癒したというから、
病だったのは事実らしい。

015 大谷吉継 【おおたによしつぐ】 1559-1600

(中編)

伊達政宗は隻眼のハンデを持ち、終生コンプレックスも持ち続けたが、
吉継の場合は病というハンデを負った。

吉継は「業病」(ごうびょう、前世の悪事の結果かかるものと昔の人が考えた難病)
にかかっていたと言われ、症状から癩病(らいびょう、ハンセン病)に
かかっていたと考えられている。

ハンセン病は癩菌の侵入によって起こる伝染病である。
進行すると毛が抜けたり肉が変形したりする。
また失明や四肢の委縮が起こることもある。
現代では感染しても治療を行えば治癒が可能であり、
後遺症を残すこともない。また自身が感染源となることもない。

病気自体は古くから知られ、鎌倉時代には忍性(良観)が、
奈良に北山十八間戸を建てて、患者の救済に当たったことが知られている。

差別、偏見は昭和頃から強くなったとされるが、これには国自体も関与している。
「らい予防法」など国策によって隔離措置が取られ、
療養所に送られた患者たちには断種や堕胎が強制された。
一族からハンセン病患者が出れば、ひそかに療養所に送り、
親兄弟の縁も切った(戸籍からもはずした)という。
ハンセン病に対する正しい知識が広まり、国も政策の誤りを認めて
「らい予防法」を廃止したのは、ようやく1996年になってである。

この病気で恐れられたのは一つには伝染性である。
ある茶会で武将たちが茶を回し飲みしたが、吉継が口をつけたあと、
茶碗が回ってきた武将たちは飲むふりだけをして次の者に茶碗を回したという。
その中で一人だけ茶を飲んだのが石田三成である。

三成の合理的な精神が伝染性を否定したのか、友情が克ったのか。
茶会以前、すでに二人は奉行職として行動をともにすることがあったと思われ、
このときにお互いの才能を認めあったのであろう。
三成は直江兼続との交誼が知られているが、
一部の人にはわかる不思議な魅力があったようである。

ハンセン病でもう一つ恐れられたのが、顔や四肢の変形である。
吉継が頭巾と覆面で顔を隠したのも、敗戦後に首を晒されたくない、
として地中深くに埋めさせたのも、このためである。
 
物理攻撃+100は変わらないのでスルーかなあ?

戦国人物紹介

「天地人」では白い頭巾、覆面姿で輿に乗って指揮する姿が描かれていました。
輿といっても、嫁入りのときの屋根つきの輿ではありません。
切腹するシーンまでイメージ通りでしょうか。

015
 大谷吉継 【おおたによしつぐ】 1559-1600

(前編)

紀之介。のち吉隆と改める。
従五位下刑部少輔(ぎょうぶのしょう、ぎょうぶしょうゆう)。
初期の頃の動向は不詳。生国も近江説や豊後説があり、はっきりしない。
秀吉の側近として名が見え、兵糧奉行、検地奉行など内政面で功績がある。
このあたりで三成とも親しくなったか。
賤ヶ岳の戦い、九州攻め、小田原攻めなどにも従軍する。

1589年、死去した蜂屋頼隆のあとを受けて越前敦賀城主となる。
朝鮮出兵では渡海するが病となり帰国。しばらく表舞台からは遠ざかる。
癩(らい)病(ハンセン氏病)を病み、目もほとんど見えなくなっていたという。

秀吉の死後は家康に接近。上杉征伐にも従軍すべく敦賀を出発するが、
途中で近江佐和山の三成と会い、家康打倒の計画を打ち明けられる。
吉継は計画の無謀を知っていさめるも三成の決意は固く、
最終的には吉継も行動を共にすることとなった。

信望の薄い三成ではなく、毛利輝元、宇喜多秀家らを
西軍の中心に据え、豊臣恩顧の大名に決起を促すなど、
以後の西軍の戦略はほとんど吉継の手になるといっていいだろう。

関ヶ原本戦では去就の定かでない小早川秀秋に備える。
病のため歩行も困難となっており、輿に乗って指揮したという。
東軍方となり攻めてくる小早川勢を撃退するも、
さらに脇坂、朽木ら四将が寝返り、攻撃に加わると支えきれず壊滅。
戦場から逃れると、家臣の湯浅五助に首をはねさせ、隠させた。

家康の優位を認識しながらも、三成との交誼に殉じたと言えよう。
数多の武将が参戦した関ヶ原の戦いだが、戦場で唯一自刃した武将である。

長男の大学助義治(吉胤)は戦場から離脱し、
大坂の陣では秀頼の招きに応じて大坂に入城。
翌年、天王寺口の戦いで戦死した。
娘は真田幸村(信繁)に嫁いでいる。

と、今回は事績を追うだけに留めます。後編に続きます。
 
黒べぇグランプリ10月シリーズも第2節。
ヤンパは3位でした…^^;

中盤タラント、ネオポリスと三つ巴の時間が一瞬だけありましたが、
あとはじりじりと離される一方。
最後はホホーフテュとの乱戦に切り替えました…。

第3節までで優勝を決めてから第4節で遊びたかったのですが、
なかなかそうはいきませんw
次節は前回足を引っ張られたグスーク。返り討ちにします!
(国名の敬称は略させていただきました)

■歴史コラム■ 解釈について

前回の三成と左近の逸話。

「年代的に合わないので、そのまま受け取るわけにはいかないが、
当時の人々の考え方をうかがい知ることはできよう」

とさらっと流しましたが、この逸話、いろいろ解釈できるんですよね。
美談とはいえないまでも「いい話」として後世に残っている話。

秀吉自身、(立場上やむを得ないところはあったとしても、)
高禄をはたいて高名の士を雇うってのは嫌いじゃない人物。

家臣の三成に与えた知行を、三成が半分近く使ってでも、
優秀な武将を召し抱えたというのは、秀吉にとっても喜ばしい話だったのでしょう。
けちけちして己の懐を肥やすぐらいなら、家臣にばらまいてしまえ、
というのは秀吉の好む発想ではあります。

のちに三成が出世して加増されたときに、左近にも加増の話がありましたが、
左近が断ったというのは、左近の立場も関係しているんだと思います。

すでに石田軍の中で参謀的な地位にあったと思われるので、
彼が指揮するのは自分の配下だけなく、
石田軍全体となっていたでしょうから、
自分の知行というのはあまり関係がありません。
むしろ、その分で武将や兵を雇った方がいいと考えたのでしょう。
(実際に蒲生家、氏郷の遺臣を雇っている)

主君の三成に対しては毀誉褒貶ありますが(批判的な意見が多いが)、
左近にとっては、ある程度自分の好きなように采配が振るえる
石田家家臣というのは居心地が良かったのではないでしょうか。
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11
ブログ内検索
プロフィール
HN:
Rakuna
性別:
非公開
自己紹介:
君主online、元朱雀官(二期)
このゲームが終焉を迎えるときまで冬眠しています。
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
リンク
 
 
 
777
 
 
最新のコメント
[11/20 Rakuna]
[11/19 DEBBY]
[11/12 Rakuna]
[11/05 DEBBY]
[08/14 debby]
[05/03 amasiz]
最新TB
バーコード
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]